現在ダブルワークをしていると思うんですが、まずはどうやって英会話講師になったのか知りたいです!
もちろんです!今日はそのことについて話しますね!
こんにちは。英会話講師のasano ( >> profile)です。
こんな私ですが、英会話講師になったきっかけを問い合わせてくれる方がいらっしゃるので、今日は私が英会話講師になろうと思ったきっかけや、どうやってなったかなどをお話しできればと思います!
要約
就職する
↓
ブラック企業だったけど耐える
↓
英会話講師の夢を叶える
↓
転職して外資系企業OL(今ココ)
ブラックなスタートアップ企業時代
20歳で渡米し、24歳で帰国した私は、日本のスタートアップ企業で働き始めました。
というのも、両親のお金を頼んで借りて留学させてもらっていた身だったので、もちろん帰国したときはお金もなく、東京へ出て一人暮らしをするような余裕もありませんでした。
帰国後は、山梨にある実家に住みながら、細々と就職活動を始めました。
何度、ハローワークに行ったでしょうか。
私の第一希望は、やはり英語を使える職種であること!
その時点で、山梨でそんな募集はゼロに等しいです。
あったのは、家庭教師(パートタイム)、旅行会社(経験者のみ)とかがほとんどでした。
英会話講師や塾講師の募集も見かけましたが、当初は何十人の前で教えるなんて無理!と、考慮に入れていませんでした。
そんな中、翻訳業務の募集があり、書類審査が通り、面接を受けに行きました。
いろいろな機械の取扱説明書などを翻訳する業務の会社です。当時の私は、英語が使えることがとても魅力的で、一次面接、二次面接 + 社長面接も乗り切り、採用になった際はとても嬉しかったことと覚えています。
就活を始め、5ヶ月ほどたった、春の始まりでした。
24歳にして、初めて社会人となり、「自らが責任を持って働き、給与をもらう」ということが不安で仕方なかったことを覚えています。
いろんな思いを抱え、始まった社会人生活ですが、思っていたものとはかけ離れたものでした。
良かった点、悪かった点、両方あります。
良かった点:
翻訳者として雇われたが、入社2週間目で別チーム(ウェブマーケティング室)に移籍。(実は私、カレッジでデザインを専攻していたので、ウェブマーケティング = ウェブデザインに関われる機会に恵まれました。)
悪かった点:
とんでもないブラック企業でした。車社会なので、「終電」という概念がなく、毎日朝の3-4時まで仕事をしていました。
良かった点も悪かった点もありましたが、良かったことの割合が悪かったことに、まったく見・合・わ・な・い!!! (お・も・て・な・し じゃないよ!古!)
毎日死ぬほど働かされていて、入社3ヶ月目にして、本気で辞めようと思いました。
でも、大学を中退して、心配している娘をアメリカまで留学することを許してくれて、やっと帰ってきて就職したと思ったら、3ヶ月で辞めるって・・・言えない・・・
自分でいうのもアレですが、私、けっこう親思いだと思うんです。
親を悲しませると思ったら、どうしても言えない・・・
世間一般的に考えても、3ヶ月で社会人初めての仕事を辞めるって、根性なし!とか、だから今時の若いもんは!とか、今後の就職に響くんじゃないかとか。。。
よく、3年は続けてみないとわからない!って言いますよね。
考えた挙句、3年後に辞める。それまでは生き延びる!と、心に決め、私のブラック企業生活は始まりました。
この間、死ぬ気で働きました。(詳細は割愛します。興味がある方はコメントください!記事書こうかな)
3年経ったとき、私の辞める気持ちは確固としたものでしたが、やりたいことが別にできていました。
英会話講師に挑戦
それは、この3年の間、英語を思うように使う機会が無かったので、やはり英語を使う仕事がしたい。それも、元々は3年前に自信がなくて諦めてしまった英会話講師になりたい!という夢でした。
会社に交渉
ただ、これまでの業界とは全く別のフィールドなので、
- 本当にそうなれるかもわからない
- 急に転職というのもリスクがある
- 今まで自分がしてきたウェブマーケティングやウェブデザインの知識が活用できなくなる
といった理由から、私が何をしたかというと、会社に交渉をしました。
この3年間、私はただただタダで残業をしてきたわけではなく、会社の中で、真面目・勤勉・いなくなったら困るという存在を確立していました。そのため、この交渉が成立するのに、それほど時間は要しませんでした。
私が出した条件は以下です。
- ダブルワークの許可をもらえること
- 週3-4勤務 = 短時間正社員にしてもらえること
これを機に、私の英会話講師のキャリアがスタートしました。
英会話講師になるための面接・テスト・実技
正直、初めは楽なものではありませんでした。
いくつも英会話スクールの面接に行き、指導経験のない私は、正直、悪戦苦闘の連続でした。
大学生の頃、バイトで教えていたような個別塾の英語科目とはわけが違って、何人もの生徒の前で、英語だけで1時間レッスンをするー かなり大変で、面接で泣いてしまったこともありました。(今となっては恥ずかしい思い出です。泣いても何もならないのに。。)
大体の英会話スクールは、大きく分けて2つの試験に別れています。
- 面接とテスト
- 熱意や経歴を聞かれる会話形式
- 英語レベルをはかるペーパーテスト
- 実技試験
- 実際にレッスンを行う
2番目は、当時素人の私にとってはキツかったです。ただ、自分が海外にいた頃の勉強法を思い出したりしながら、、”Please repeat after me!”とか連発しながら、なんとか実技試験を終えました。
「完全に落ちた」と思いました。
それが、なんと・・・合格!
レッスンの方法は、後からはいくらでも学べると、ポテンシャル採用してくれたようでした。
憧れの英会話講師の一歩目を踏み出した訳です。
集中トレーニング
喜んだのもつかの間。
私が入社した英会話スクールは、いい意味でとてもしっかりしている会社で、講師向けのトレーニングが何週間も組まれているんです。
某スクールのような、英語のネイティブスピーカーであれば誰でも翌日から生徒に英語を教えることを許可しているようなところではないんです。(正直、そのような講師のレベル管理があまりできていないようなスクールのTV CMなども見ま流ので、複雑な気持ちになります。)
私のところは、正反対。かなり講師が訓練されます。
今となっては、本当に学ぶことも多く良かったと思いますが、トレーニングを受講していた期間は、朝から夜までひたすら講師になるための勉強、練習の繰り返し!かなりタフでした。寝る間もないほど勉強し、修了したときは泣きそうでした。
今でも、初めて本当の生徒の前で指導した日は忘れません。
10人ほどの前で教えたのは1時間程度でしたが、気持ち的には3−4時間でした!緊張してたまらなかったのですが、やはり、英語を教えるということは、あの日から今でも、変わらず 私の中で原動力になることで、一生続けていきたいライフワークです。
さいごに
英会話講師になったのは2013年のことですが、いまだに英語を教えることは続けています。
現在は、英会話スクールやオンラインレッスン、高校などで教えていますよ。
私はネイティブではないので、もちろん完璧に英語を話すことはできませんが、田舎に生まれ、英会話とは縁のないところから始まり、20歳を過ぎて英語を話せるようになった経験から、効率の良い勉強方法やコツなどを、少しでもわかりやすく皆さんにお伝えしていけたらなと、このブログを書いています。
少しでも、お役に立てたらいいなと思っています。
聞きたいことなどあれば、いつでもコメントくださいね。
コメント