運営者 asanoの過去!無知でぼんくら高校時代

管理人のこと

いまだに思うと、本当に何もしなくて過ぎ去った高校時代だったなーと思う。
青春の3年間を、無駄遣いした自信が心底ある。笑

あんなにも何も考えず、フラフラ生きていなかったら、私の人生はもっと別のものになっていたんだろうなーなんて、たまに振り返るけれど、あの経験があったから今の私があるんだ!というよくある台詞で、毎回自分を納得させているけど、それはあながち間違ってはいないと思う。

今日は、それを振り返ります。

英語を習得し、自由なライフスタイルを手に入れてもらうための情報発信を行っている asano です。

20歳で大学を中退。英語力ゼロ。奮起し渡米。24歳でカレッジを卒業。卒業後は、ウェブマーケティングのベンチャー企業を経て、仏大手ウェブ広告会社に移籍。同時に英会話指導を開始し、のべ300人への英語指導経験をもつ。大手英会話スクールの人気講師。 >> もっと読む
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厳格な両親

そもそも私の親は、小さい頃から本当に厳しくて、勉強しなさい x 100000 が口癖。「親の仕事は働くこと。子どもの仕事は勉強すること。」という呪文を、唱えられ続けていた。

物心つく前まではよかったのだけれど、中学校、高校と進学するにつれて、両親の厳しさが煩わしくなっていった。私が仲の良のいい友人たちのことも「どこの子なの?親御さんは何の仕事をしているの?まともなお仕事なの?」などナンセンスなことをしつこく聞くようになり、門限、髪の色、スカートの短さ、化粧…すべてにおいて、注意されるようになった。

当時の私は「やることやってるんだから、放っておいて!」と反抗していたけど、私の両親には通用しなかった。

成績も悪くなかったはずだし、勉強も怒られたくはないから、人並みにはやっていた。

ただ、私の両親の「勉強する」の定義は、まさかの全教科満点


「授業で教えてもらってないことはテストに出ないんだから、満点取れないなんてことないよね?


…無理でしょ。。


そんな両親を相手に反抗期を迎え、成績も下がる一方。親のことも大嫌いになったし、まともに口も聞かなくなった。

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ド田舎の高校生生活

かといって、当時の私は、勉強以外に何かやりたいことがあったかって、何もなかった。両親の方針で、勉強の時間が無くなるからと部活にも入れてもらえなかったし、もちろんバイトもさせてもらえるわけもない。

毎日、ひたすら学校と家の往復。
当たり前だけど、ド田舎の高校に通っていた私は、通学の途中に友だちと立ち寄れるようなショッピングセンターとかカフェとか、そんな場所はまったく無くて、ただただ畑道を自転車で45分こぎ続けるだけ。

だからって、勉強したかと言えば、やる気なんてないから家でぐうたらしているだけ。本当に無駄な時間。

青春時代なんて真っ赤なウソ。

私の高校時代を一言で表すのなら、JK=地味高校生(女子高校生じゃなくて)でした。

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人生の転機 = アメリカでホームステイ

そんな中で、フラフラ無知でぼんくら高校生活を送っていた私に、一つの転機が訪れます。

私が通っていた高校には、アメリカに姉妹校がありました。そこに1週間ホームステイするプログラムの募集がかかったのです。

英語なんて1番大嫌いな教科だし、海外なんてもってのほか!まったく興味はありませんでした。
ところが、遊び仲間が「旅行だと思えばいいじゃん!楽しそー!みんなで行こうよ!」と。勉強のつもりは1ミリもなく、完全にただの旅行気分。

両親に相談すると、案外すぐにオッケー。私が英語に本気で向き合おうとしてるとでも思ったのでしょうか。
それにしても、友だちと海外旅行に行けるなんてラッキー!と、初めて海外に行くことになりました。

現地で思い知った、自身の英語力の低さ

ホームステイ先は、アメリカにあるサウスダコタ州。

…聞いたことないですよね?笑 私も初めてでした。未だにアメリカ人の友人に聞いても、サウスダコタ州に行ったことがあるという人には会ったことがありません。

アメリカのちょうど真ん中くらいに位置する州です。
歴代大統領4人の顔の岩があるって言えばわかるひともいるでしょうか。

サウスダコタ州(英: State of South Dakota)は、アメリカ合衆国の中西部にある州である。グレートプレーンズ(大平原)にあり、南西部はハイプレーンズ(英語版)と呼ばれる標高の高い平原地帯である。州の北はノースダコタ州に、東側はミネソタ州とアイオワ州に、西側はモンタナ州とワイオミング州に、南側はネブラスカ州に接している。

Wikipedia: サウスダコタ州


そこに1週間ホームステイをすることになったのです。

ホームステイ先が何もしてくれなくて楽しくなかった…などの話はよく聞くのですが、ラッキーなことに、私がホームステイした先の家族は、本当に私に良くしてくれました。

あの1週間の出来事は、今でも鮮明に覚えています。

ホストファミリーのママと息子が空港まで車で迎えに来てくれていて、あたり一面が草原のようになっている広い道を通って、お家にたどり着きました。隣の家がなんとか遠くに見えるほどの距離。アメリカの土地の広さに唖然でした。

家に着き、部屋に入ると、家族5人の写真とともに、机に私へのWelcome Letterが置いてありました。

挨拶も英語でまともにできなかった私は、お土産だけはたくさん持ってきていたので、それを持ってリビングルームへ。

緊張と、自身の無さと、知識の無さで、英語が出ない出ない。
かろうじて、ディス イズ ギフト!と伝えました。

英語が通じたことに、感動したことを覚えています。

満面の笑顔で、受け取って、喜んでくれる彼ら。
目の前でどんどんラッピングを開けることも、アメリカでは普通のことなんだなと、その時に学びました。

その後、パパが、
“What is the next plan?” と言ったことも覚えています。

私のためにプランを立ててくれていたんだ!ということが、とても嬉しかったからです。

そのプランは、まさかの、彼らが飼っている2頭の馬に乗って走り回ること。笑
しかもその馬は、家の横の庭?に居ました。

1頭には息子のマットが、もう1頭には私が乗って走り始めたのも束の間…

お尻が痛い〜〜〜!!!

と思ったものの、

英語でなんて言えばいいのー!?泣 (心の叫び)

英語力ゼロの当時の私は、その状況で考えればわかるというものでもなく、もう日本語でも叫べば伝わるでしょ!と、ひたすら「イタイ、イタイ!!!」を連呼。

結果、それが楽しんでいるのかと思われたようで、むしろ加速。
撃沈でした。

それでも、まともに英語を話せない私を、楽しませてくれようとしてくれたホストファミリー。

現地のいろいろなレストランやショッピングセンター、BBQや手料理もたくさん振舞ってくれ、たくさんの異文化経験をさせてくれました。

本当に感謝しきれないほどお世話になり、最終日、心から感謝の気持ちを伝えたくてたまらなかった私ですが、1週間で私の英語力が上がるわけもなく、言えた言葉は、

“センキュー ソーマッチ!”

他に感謝の気持ちを伝える表現なんてわからない。でももっと思いを伝えたい!と思った17歳の私は、このフレーズを、心を込めて、何度もなんども、伝えました。

心の中で感じていたのは、彼らに対する感謝の気持ちだけではありませんでした。


このファミリーに、英語を話せるようになって、必ずもう一度、お礼を言おう。


これが、私が英語を本気で始めるきっかけとなった出来事です。

この時は、いずれ自分が外資系OLや英会話講師になるなんて知る由もありませんでした。


今でも忘れません。
マット、ネイト、ニッキーにパパとママ。あの時は本当にありがとう。

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